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ケロール
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サイコロジストあずきあらいの人生観察&分析日記

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| 2011.01.16 Sunday | - | - |

Azukiのこだわり
14:05
 昨日無事に学会発表は終わった。
 朝からのどが痛み、体がだるかったが発表が終わるまでは何とか持ちこたえてくれた。

 京都からの帰り、疲れと安堵でぼーっとしていた。
 小規模とはいえ、50人程度の見知らぬ聴衆の前でしゃべるのは年1回だけである。以前大学の非常勤講師だったころは120人近い学生さん相手に講義をやっていたので、人には慣れている方だと思っていたが、講義と学会発表は全然雰囲気が違う。どこぞの教授とか、私よりはるかに経験がありそうな人に質問され、何となく修論発表に近い感じだった。(大汗)

 金曜日のストレスと昨日の緊張で、今日はとうとうのどを腫らし熱が出てしまった。幸い今日も明日も仕事が休みなので、ゆっくり過ごしたいと思っている。

 学会での発表にはほとんどパワーポイントを使う。ポスター発表の時は、パワポで作ったものを印刷して持参する。個人的にはパワーポイントをそれほど気に入っているわけではないし、講義では一度も使ったことがない。皆が使うから…という理由が大きいが、それならそれで私なりにこだわっていることがある。

 それは、レイアウト(デザイン)である。

 パワーポイントにはいろんなレイアウトがあるので、その時の発表内容や部屋の大きさなどで選んでいる。目立ちすぎず地味すぎず、目に優しい見ていて落ち着くようなものを選び、フォントや色も、自分で設定を変えている。

 私のwindows機(VAIO)はかなり古く、パワーポイントも98と古いので、あまりレイアウトの数が多くなく、綺麗なものが少ない。そのため2年前に購入したiBook(今のMacBook)で原稿を作り、正常に作動するかどうかをVAIOで確認してから発表に使っている。そのため、時々会場に設置されたPCで読み込めない時があり、昨日も発表前に動作を確認しようとしたら、ファイルが開かなかった。

 急遽、スタッフの一人からPCを借り、それを使って確認したらちゃんと動いてくれた。

 最初からVAIOで作れば動くのですが…とお詫びをしたら、そのスタッフの方が、「いや、きれいなスライドを作りたいという気持ちは分かりますよ」と言ってくださった。また、発表のスライドを印刷したものを共同発表者の先生に差し上げたら、すごく喜んで持ち帰ってくださった。

 これからも、人の迷惑にならない程度なら、パワポにこだわってもいいかなと思っている。

 ところで、先週Air Mac Expressを購入し、我が家のPCはワイヤレスでインターネットに接続できるようになった。それだけでなく、いちいちパソコンを持ち歩かなくてもプリンターでの印刷が楽にできるようになった。設定が非常に簡単で、あっという間につながったのには驚いた。今まではパソコンは仕事のために使うだけだったが、Macを手に入れてから、パソコンは楽しんで使えるということが分かってきた気がする。

 windowsはwindowsの良さがあるのだが…Mac恐るべし、といったところだろう。



| 2006.07.30 Sunday | diary | comments(0) |

こまった人々
00:26
 精神科の病院に限ったことではないが、時々困った患者さんがいるという話を耳にする。

 看護師をしている知り合いが、ある患者さんの血液を採ろうとしたら、血なんか採って欲しくないと突然大声でわめき始め、処置室を出て行ったという。精神的な問題があるわけではないし、針や血が怖くてダメということでもないらしく、何故いやなのかその理由が全く分からなかったそうだ。

 精神科だと、目つきが気に入らないとか、言葉や態度で傷つけられたとか、こちらが思いも寄らない事に過剰に反応し、怒りをまともにぶつけられることが時々ある。もう何年もこの業界で働いていると、段々と対応にも慣れてきて、ああもうこれは仕方ないなと大分あきらめがつくようになった。

 それでも、ごくたまに強者がいて、非常にしんどい思いをすることがある。

 先週末、心理検査のためある中年の患者さんと面接をした。検査をするということは、前もってドクターから伝わっていたはずなのだが、面接室に入る前から相当にイライラして様子がおかしかったので、この状態で検査をするのは難しいと判断し、検査を数日延期することを提案した。

 ところが、私の話を聞きおわる前に、突然静かだけどきつい口調で「今日検査するって言っていたのにしないのはなぜなの?」と抗議を始めた。

 「大体、検査して何が分かるのよ?」
 (おおよその性格傾向を調べるためです)
 「そんなものって、結局主観でどうにでもできるんでしょう?」
 (そうならないように十分注意をしています)
 「あなたを見ているとイライラするのよ」
 (ああ、そうなんですか)
 「ちょっと臨床心理士だからって、自分だけ分かっているような顔しないでよ」
 (そんな風に見えるんですか?)
 「あなた方は人の欠点を探して決めつけるんじゃないの?」
 (いいえ。そのための検査ではありませんよ)

 相手はしばらく敵意むき出しの形相で、一方的にしゃべりまくった。私はのらりくらりと対応しながら、今日これから検査ができるかどうか探っていた。最後は、「どうしても検査をやらなければいけないわけではないから、できないなら今日はやめますがどうしますか?」と聞いてみて、患者さんがやると言い出したので、結局検査をやった。

 暴力にまで及んだわけではないが、相手の言葉の一つ一つは非常にとげとげしく、態度もかなりつっけんどんで不快感を煽るような状態だった。そういう相手の反応は、よくよく観察すると矛盾だらけのようにも見えた。

 他人に受け入れられたい、認められたいと思っているのに、自分以外が敵にしか見えてないのだろうな、と感じた。まるで私を通して、誰かを攻撃しているようにも思えた。そして何よりも、自分の言動が相手にどのような影響を与えているのかがほとんど分かっていないんだな、と思った。

 人に近づきたいのに人を遠ざける、それは悲しいことだなあと思った。だが、困った人ほど自分自身は困っていない、それもまた残念なことである。

 

 
 

| 2006.07.29 Saturday | ちょびっと心理学 | comments(0) |

ひとつずつ、すこしずつ
02:01
 暑さのせいなのか、よく理由は分からないが、最近イライラしている人を町でよく見かける。

 声を荒げる人もいるし、にらみつける人もいる、延々と納得いくまで抗議する人もいる。信号の変わるまでの僅かな時間さえ待てない人もいるようだ。

 イライラするのは気持ちにゆとりのない時である。そういう時に限って、物事が思うように進まないし、うまく運びにくい。後で冷静になって考えると、何であんなにイライラしていたんだろう?と思うが、イライラの最中はとにかく思い通りに行かないとカーッと血が上り、ますます焦って更にイライラする、という悪循環に陥っている。

 どうすればイライラに振り回されないで生きられるのかと、私自身も長年悩んできた。私の場合、ゆとりがなくなるのは、急ぎすぎているかあれもこれも欲張ってしようとしているかのどちらかである。

 だから、ひとつずつゆっくり取り組める時は、イライラはほとんどない。もっと時間的ゆとりをもって取りかかり、自分のペースを守って生活できればイライラはかなりの部分、解消されるはずなのだ。

 だが分かっていても、現実にはなかなか変わらない。

 今週土曜日にある学会で発表することになっている。2ヶ月以上も前に決まっていた事だが、資料を作り終えたのがついさっきの話で、まだ話のポイントをまとめていない。明日は仕事が忙しくて時間的余裕がないので、いつやれるか分からない。もう少し早くから手をつければよかった、と思っても後の祭りである。明日もまた寝不足が避けられないだろう。

 ひとつずつ、ゆっくり、焦らずに…学会当日はそういう冷静な気持ちで臨みたい…実は、大人数の前で30分以上しゃべらないといけないのだ。やれるところまで準備して、後は天に任せるしかない。



| 2006.07.28 Friday | ちょびっと心理学 | comments(0) |

今日いちにち
00:35
 今日いちにち
 
 早朝、子どもを笑顔で部活へ送り出し、
 手短に洗濯と片づけを済ませ、
 ネコの世話をする

 いつもの職場で報告書をまとめ、
 いろんな悩みを持つ人の話を聞き、私にできることをする
 他のスタッフと歓談し、ねぎらいの言葉をかける

 午後は近くの大学に出向き、
 学生さんからの相談を受ける
 笑顔で励まし、一緒に考え、時にはアドバイスする

 家に帰ると、子どもと今日のできごとを話し、
 みんなで一緒に夕食をとり、後かたづけをしてゴミ捨てに行く
 あとは寝るまで、それぞれ好きなことをして過ごす

 今日いちにち、
 自分にやれることを精一杯やれたと思う
 
 今日いちにち、
 晴れ晴れとしたおだやかな気持ちでいられたと思う

 今ここにいるしあわせをかみしめながら
 眠りにつく前にひとり静かに振り返る
 今日もいちにちありがとう
 心をこめてすべてにありがとう

 明日もまた新たな気持ちで前進しよう
 悔いを残さないよう、今できることを続けよう
 今日よりもっといい日になるように
 
 
 
 
 
 

| 2006.07.27 Thursday | diary | comments(0) |

拝啓ケロリさま
16:13
 今まで代理人として弁護士さんに任せていた離婚調停だが、話があまり進まないのでとうとうわたしも調停に出席することになった。

 よくもまあ、これだけ書けたよな…という量の、夫から私への抗議文を読ませてもらった。

 全部が事実無根というわけではないが、大切なことが抜け落ちてごく一部のことがまるでそれが全てですというような書き方がしてあった。

 調停委員もほとんどそれを鵜呑みにしているような様子だった。彼らにとっては私という人物は嫁としての役割も果たさず仕事にばかりかまけて家庭を顧みない、ひどい人間に写っていただろう。これまでの経験から、そういう事は全て想定内だった。

 家庭内の内輪もめを第三者に仲介に入ってもらって解決しようというのだから、こういう展開になるのはある程度仕方がないことなのだ。調停委員が悪いというわけではない。夫という人物をよく知り尽くしている人間としては、彼の態度が一見ソフトで紳士的に見えるから、落とし穴に皆が簡単にはまってしまうということを承知している。

 だから、わずか数回しか会うことのない調停委員に夫の状態を理解してもらおうなんて、思わない方がいいのだ。

 大切なのは、毅然としていることであって、自分のやるべき事を知り決して道をそれないこと、ただそれだけである。誰が何を言っても、真実は変わらないのだから。

 欲望に振り回され、自分を見失った人間は愚かだな、と思う。夫は、全て自分の考えていることが正しいと信じてやまない。それがものごとのごく一部で、見方が大きくゆがんでいたとしても、彼の頭の中にはもうそれしかないのだ。そういう人はときどきいる。本人は困らないが周りは大いに困っている。同じ世界だが全く違うとらえ方をしている、それが分からない限り皆が苦しくなるだけで、出口は見えてこない。

 必要以外は関わりを持たない方がいい、それが私の結論である。むろん話し合って分かり合うことを期待してはいけない。

 夫はまさに言いたいことを一方的に言って終わりの「ケロリさま」である。そのケロリさまに何か伝えてほしいことがありますか、と言われたら、今なら私はこういうだろう。

 わたしはあなたから、とても貴重なことを学びました。
 世の中は、わたしが今まで考えていたよりも広く、知っていることより知らないことの方がおおいことが分かりました。
 あなたは私とは違う世界に住んでいるようですね。
 あなたの住む世界に住むことはできないし、近づくつもりもありません。
 あなたが正しいと思うことをやってください。わたしはわたしで正しいと思ったことをやり通します。
 結果はいずれ誰の目にも明らかになるでしょう。


 子供と私が夫抜きで幸せになること、これが最大のリベンジでありゴールである。


 

| 2006.07.25 Tuesday | diary | comments(0) |

これでよかった
00:31
 最近になって、母親が高機能自閉症であることが確実になった。
 子供のときからずっと、何かがおかしいと思いつつ大きくなり、心理士として働くようになってちょっとそれっぽいなと思っていたが、確信には至らなかった。

 今月に入って高機能の自閉症スペクトラムが疑われる患者さんが立て続けに心理検査を受け、彼らの結果を見たときにようやく母親が同じ問題を持っていることにはっきりと気がついた。

 コミュニケーションの不自然さ、感情の起伏の激しさ、人への恐怖感や人間関係の不安定さ、記憶のフラッシュバック現象、そして…極めて強いこだわり。高機能自閉症の主な特徴がすべて当てはまっているのだ。

 やっぱりそうだったんだ、と分かった時、急に気持ちがすとんと楽になった。母親がそういう性質を持った人だということを、完全に受け入れた瞬間だった。

 それまでの私は、母親の問題を知りながらも、心のどこかでは認めたくない気持ちがあった。私が母親を怒らせるようなことをしていたのではないかという思いと、してもらえなかったという恨みの気持ちをどうしても手放すことができなかった。

 だが、母親の問題が生まれつきのもので、同じ問題を持っている人が他にもあちこちにいることを知り、彼らの見方や感じ方が私のそれとは大きく違うのだと分かった時に、母親の不安定で不可解な言動に私が責任を感じる必要はなく、恨みの気持ちを持つのは筋違いだと気づいた。

 私は今まで、母親の問題のごく狭いところしか見ていなかった。「なぜ」と思うと分からないことだらけだった。でも自分を責めることも相手を恨むことも手放したときに、はじめて母親の生きる世界がどんなものなのか、その全体が見えてきた。

 いろいろと生きづらい中で、妹と私を育ててくれたんだな…と心から感謝の気持ちが沸いてきた。むろんやり方としてはいろいろと問題はあったし、そのことで妹や私がずいぶんと驚かされたり傷ついたことは事実である。でもいつまでもそれに固執すれば自分を不幸にしてしまうだけで、何のプラスにもならない。それよりも、そのような親から育てられた体験が、間違いなく今仕事の上で役に立っているし、自分を振り返るよい機会を与えてくれたのだから、すべてはこれでよかったのだと思っている。

 母親は現在、うつがひどくちょっとしたことでパニックを起こすようになったので、近くの病院に入院して治療を受けている。すでに妄想とも呼べる状態にまでなっていて、年齢的にも回復が難しく、退院しても今後一人で生活するのは無理である。

 今までは、母親の面倒を見るのは当たり前という周囲のプレッシャーと、面倒を見なければならないという責任感と、近づきたくない嫌悪感で常に葛藤していた。だが、今は母親のためにできることには限りがあって、それは自分の力不足でも親不孝でもないと思えるようになった。聞くところは聞き、自分の意見ははっきり言い、母親が少しでも楽になるようにできることをやる、もうそれでいいじゃないかと思っている。

 去った日曜日、私ははじめて電話で母親に、いままでいろいろと助けてくれてありがとう、とお礼を言った。母親はまだ混乱していて私の言葉が届いたかどうか分からないが、伝えられたことだけでもよかったと思う。

 私のこころの中のわだかまりは、全部なくなってしまった。




| 2006.07.25 Tuesday | diary | comments(0) |

頭の理解、心の理解
01:21
 月に一回だけ、カウンセリングを受けに来ている中年の女性がいる。彼女の悩みは自分の母親のことで、育った状況が私の小さいときと非常に似ている人である。

 彼女は辛かったことでも、他人事のように淡々としゃべる。人の事もよく見ていて、その冷静さに感心させられる。実家ともきちんと距離を置いてつきあい、自分の生活を大事にしている。大変に賢い人で、親のことで迷っている私よりは先を行っているなと感じていた。

 しかし彼女も、気持ちの上ではまだ十分整理はついていない、と言う。話すことで残っている感情が少しでもなくなるなら、とカウンセリングを受けようと思ったようだ。「親のことも自分の育った環境が普通でなかったことも、どうしようもなかったと分かっていて、それなりに前向きに生きてきたのに、まだ引きずっているものがあるんですかね」、と彼女は言っていた。

 人間は知識として頭で理解し、分かったつもりになっていることが多いが、心に届かないと本当には理解したことにはならないんだろうな、とこの時に感じた。

 人間関係で傷ついた人が、「それはもう済んだことだから」「もう過去のことだから」といった言葉を口にするのを何度も聞いた。だが、よく尋ねてみると、本当には過去になっていないことが見えてくる。何かのきっかけで当時の感情や体の反応が出てきて、そのことにショックを受ける人も少なくない。「もう過去のこと」と頭(前頭葉)がいくら言い聞かせようとしても、体や感情はその時の状態に戻ってしまう。実際に体験したことのない人にはピンと来ないかもしれないが、これはとてもしんどいことなのだ。

 心で理解するとは、知識としてでなく、体全体でそれがもう過去のことだと認識できることなのかもしれないと思う。

 
 昨日はもう一つ、彼女との面接の後で気付いたことがあった。それは頭で理解しただけでは、人は変われないということである。
 
 本当に心で理解しないと、人の行動を変えることはできない。絶対に変わると何度も決心してそれでも行動が変わらない人って、頭でそうしたいと思っているだけで、そうなることを心から望んでいるわけではないのだろう、と思う。
 
 だから逆に人の行動を見れば、その人が心のレベルで何を望んでいるかが分かるし、特に言葉と行動が食い違う時には、真の動機を写すのは行動の方だと考えてまず間違いないだろう。

 単なる机上の知識として覚えることより、体験から学べることの方がより大切だなーとつくづく思う。





| 2006.07.23 Sunday | ちょびっと心理学 | comments(0) |

人間の不思議(Mistery of Human Being)
21:25
風の谷のナウシカ 6
風の谷のナウシカ 6
宮崎 駿


 映画の方は10回以上見たが、コミックの存在を知ったのは最近である。

 実在の人物ではないものの、ナウシカは私にとって最もあこがれるヒロインであり、目標である。ストーリーも確かに意味深く面白いが、登場人物の描き方に独特な緻密さがあり、私的には人物像にとても惹かれるものがある。

 私は本気で、ナウシカのような強い人になりたいと思っている。強さといっても、腕っ節の強さではなく、正しいと信じることを貫ける精神力である。ナウシカが人間の愚かさや自然の過酷さに度々苦しみうちひしがれながらも、最後まで希望を捨てないところに心が動かされる。自分の使命をはっきりと知っていて、自分を見失わずに常に前を見ている、そういう姿勢を私も身につけられたら、と思う。

 国と国の戦争ほどの規模ではないが、私も仕事を通して人間の脆さや愚かさを度々感じ、また自分の無力さに悔しい思いをしている。

 人が己の欲望のために人を傷つけ、尊いものを奪い去る。傷つけられた人は更に人との関係で傷ついていく。親子が、夫婦が、友人同士が怒りや憎しみに目をくらませ、大切なつながりを壊していく。

 様々な後遺症に苦しみ、人への信頼を失いかけた人たちを目の前に、私はいったい何ができるのだろうか…としばしば考える。その人の人生は結局その人のもので、最後にどうするかを決めるのも本人である。カウンセリングや心理療法が、そういう人たちに何を与えられるのだろうか…と。

 その一方で、ふと考えることがある。ある傷ついたできごとがきっかけで、自分を痛めつけ追いつめて、人生を台無しにしてしまう人もいるが、何度傷ついても、繰り返し立ち上がり前に進んでいく人もいる。同じような体験をしていても、傷つけた相手を恨み周囲の無関心に怒りを抱いて生きている人もいるし、ネガティブな感情を手放し、心の平安を得て自分にできることをして生きている人もいる。人間の生き方は持って生まれた性質や環境やできごとによって決まるわけではない。なぜこのような違いが出てくるのだろうか…と。そこが人間の不思議なところだと感じている。

 私はまだ、自分が人のために何ができるのかということを、本当には理解していないかもしれない。しかし、私の持つ能力が使い方次第で人のために役立てられるということは確信している。ナウシカを見て人によって感じることは様々に違うだろうが、私がこの本を読んで思うのは、人はみなそれぞれに何か使命を持っていて、苦しいできごとが起こるのはその使命に気付かせ、それを果たすにふさわしい人間の器を作り上げていくためなのではないか、ということだ。そこには、私たちの意思以上の何かが間違いなく働いている。ナウシカは、自分の思いより自分を動かす見えない意思に従うことを選んだのではないか、と思うのである。

 そして最後に、「どういう状況でも、未来は自分の力で作っていくことができる」と、このマンガを通して宮崎駿氏はそういうメッセージを伝えたかったのかな、と感じている。結末があるようでないような、余韻のある終わり方だったのも、そう考えると納得がいく。

 人の抱える問題を深く考えてみたい人、心理学を勉強している人には特にお勧めしたい。「スルメのような」読むたびに違う発見があるところが、単純にマンガと言いにくいところである。



 

| 2006.07.20 Thursday | ちょびっと心理学 | comments(0) |

明日への扉:ピンチをチャンスに変える
23:24
チャンスの扉
チャンスの扉

 
 息子は明後日から夏休みに入る。
 本を滅多に読もうとしない息子に、今年は夏休み中に本を5冊読むという課題を出した。しかも感想文付きで。

 息子に言うばかりではなく、私も昨日から8月末まで「1日1冊」読書をすることに決めた。大学1年の夏休みにも、同じ事をやったことがあるので私にとってはそれほど無理な課題ではない。読む本はどんなジャンルでもいい。推理小説、SF、小説、ノンフィクション…ただし、専門書は仕事と分けるために今回は除外することにした。

 …で、これが1冊目の本である。

 この程度の量だと、1時間程度で読めてしまう。内容が非常によかったので昨日だけで2度読み直した。今日も読書課題とは別に、もう一度読み直した。

 とにかく「分かりやすい」。そして書き方が簡潔ですっと入りやすいのだ。本全体のテーマは「ピンチはチャンス」である。人にとって予期しない、一見好ましくない出来事が、次のチャンスの扉を開けるきっかけを与えてくれるということを、いくつかの領域にわけて実例を挙げて紹介している。

 物事が思うように進まないとき、大きな壁に直面したとき、気持ちがくじけそうになるときに読むと、とても励まされる。また大きな問題を乗り越えた後に読んでも、今までの人生には無駄はなかったと気付かされる。

 この本を読んでいると、去年からのできごとが思い出されてくる。突然の事で混乱もしたし辛かったけど、理解者も得られよい仕事も見つかった。カウンセラーの仕事が天職であることも分かった。そして何より、離婚を言い渡された事で、私は自分自身と真剣に向き合う機会を得て、強さも弱さも受け止め自分を愛することを学んだ。

 また私の体験は、確かに仕事に生かされていると感じている。私にとって今の仕事は、生活のためというよりもっと高い目的を果たすためのものになった。そして今まで以上に楽しさや充実感を感じるようになった。振り返ってみて、あの時ああすればよかった、と思うことが少なくなった。

 これらの経験によって、私の人生には様々なよいことがもたらされた。以前には考えられなかったが、一つ一つのできごとに意味があることに気付くようになって、変化がそれほど怖いと思わなくなくなってしまった。

 自分を信じて前向きに、真剣に取り組む。その大切さを身をもって知った。それは本の中でも繰り返し伝えられていて、だからこそ共感できる部分が多いのかもしれない。

 分かっていて自分をなかなか変えられない人には、是非読んで欲しい本の一つである。




 

 

| 2006.07.19 Wednesday | ちょびっと心理学 | comments(0) |

なつかしのホームランバー♪
22:18


 最近雷雨に大雨と、荒れ模様の天気が続いている。
 おまけにクーラーのあまりきいていない仕事場は、ただいるだけで蒸し暑く、仕事を終える頃には足がむくんでくる。不快指数は上がる一方だ。

 そうなると…どうしてもアイスに手が出てしまう。
 この4,5日は、ほぼ毎日食べている。ハーゲンダッツ、アイスモナカ、ソーダバー…その日の気分とお財布の中身で決めている。仕事から帰ってすぐにアイスを食べて一服する、それが今のところ一番の息抜きになっている。

 今日食べたのはホームランバーチョコ。
 コープこうべの共同購入のカタログで、「徳用10個入り」を購入し今日届いたばかりである。しかし息子がすでに2本、私が1本食べて、残りはあと7本になっている。

 私の予想では多分、明日の夜までには全部なくなっているような気がする。息子と遊びにきた友達で食べ尽くされ、私はあと1本食べられるかどうかのところだろう。

 アイスに限らず、大抵のお菓子は私が十分に味わう前に消えてしまう。後で食べよう…というのは我が家では通用しない。早い者勝ちである。

 ところで、ホームランバーは私が小学生の頃に好んで食べていたなつかしのアイスの一つである。他のミルクバーよりは味が好きだったのだが、ちょっと小さめだったので、大きくなるにつれもっとボリュームのある別のアイスに興味が移り、しばらくはご無沙汰となった。

 しかし、今はこの大きさがお腹にひびかず、ちょうどよいくらいなので、最近からまた好んで買うようになった。

 あと何回かコープのカタログに載らないかなあ、と密かに願っている。

 ホームランバー以外で私が子どもの頃から食べ続けているアイスに、「ブラックモンブラン」というのがある。残念ながら関西にいる今は手に入れるのが難しく、時々九州に帰った時にまとめ食いする。いわゆるチョコクランチ系の似た商品はいくつもあるが、中身のアイスがあっさりしていて、暑いときに食べてもあまりべたつかない。どうしてもどうしてもあの味でないとだめなのだ。

 ちまたにアイスはいろいろあるが、この2つはこれからもずっと食べ続けたいお気に入りの商品である。高級アイスよりは庶民的なものの方が飽きずに食べられるようなところがあって、この夏もまた、コンビニや駄菓子屋をまわる生活になりそうだ。夏が過ぎると私の興味はアイスからチョコへと移る。そしてアイス同様チョコもお店巡りが始まるのだ。たぶんこのまま年をとっても、私のアイスとチョコレート好きは一生変わらないだろうと思う今日この頃である。

 


| 2006.07.19 Wednesday | diary | comments(0) |